イラスト©森泉 千亜紀
「名シェフが教えるおいしい野菜料理」
(株)旭屋出版
その3
牛肉とフォーク
前回、「食べ物について、経済論と同時に文化論も大切にしたい」と書きました。
というのも、農林水産省でお話ししたとき、「農業には、地産地消には、お金つまり経済が大事、だから…」という提案を繰り返し聞いているうちに、「そればっかりなの?」と欲求不満になったからです。
女性だって、いえ女性こそ、経済の安定や豊かさは大好きです。
でも、毎日自分で作り続け、積み上げてきた料理の縦糸は何かと考えたら、それはあまりに刹那的で、自己中心的でした。この野菜が腐りそうとか、さっきテレビで見た、とか。
そんな人生の途中に家族ができて、ヒトの食も預かってみたら、だんだん、献立作りに疑問が出てきます。互いの味の文化はどこまで尊重すべきか、次の世代にはそれをどう折衷した文化を伝えればいいのだろうか。いま住んでいるところの食文化との折り合いはどうつければいいのだろう。日本の、このエリアの行事食って、スーパーのチラシや陳列台に教えてもらっている程度でいいのかなぁ????
何にも深く考えないうちに、経済の大きな波に流されているだけかも???
そんな、台所で感じる疑問を解決してくれるのこそ「地産地消」の役割ではないか。だから、そんな願いをこめて「文化論も」とお話ししたのです。もちろん、経済もうまくまわらなければ生活できませんが、どっちへ向かって自分は育ったのか。毎日のその意識が、子どもたちの血や骨となって、育った人間が一人一人集まって、国になっているのですから…。
こんなことを考えるきっかけとなったのは、数年前のある編集者の発言でした。
新しい料理の本を企画しようと、知恵を出し合っていたとき、彼女は「いまどき、煮物なんかリストに入れたら本は売れないのよ」と言い、「わが子には、世界のどこでも生きていけるように(1)牛肉を好きになること、(2)フォークが使えること、この二つを仕込んでるの。お箸のマスターに時間をかけるなんて、ナンセンス」とも言い放ったのでした。
絶句。堂々と言い放つ相手に、リクツで言い返せなかったことはいまだに悔やんでいます。
確かに地球はひとつだし、文化や宗教や国境で区別しすぎるのは考えもの。国際人に育つことも大切かもしれない。だけど「自分はどこの人間で」「そこの空気と土地の食べ物に育てられた」「それはこうやって食べるんだ、おいしいよ」と語れるのもまた、人間としての誇りが感じられて、心地よくないですか。自分とその周囲を大切にする心があってこそ、異なる文化を尊重する心も持てるのだから。
食べ物は、毎日食べるその人の、アイデンティティを育ててくれます。私は何者? と自己確認をするとき、誇りを持って自分を肯定できる。そんな食べ物の文化史を、心の中に持ちたいし、育つ人間にも持たせたい。
フランス人は日本に来ても、「ぼくのふるさとのチーズがほしい」とこだわります。こだわるのは、自分の食文化に誇りを持っていればこそ。
いつか日本でも開催できないかな、「僕の町のおいしいもの自慢・子ども大会」。邪心のない自慢話、スッゴク説得力があると思いませんか?
まつなり ようこ