4年ぶりの更新です。
本作りは緊張の連続です。
【2018年から2021年の、たまご社の仕事 (一部省略)】
印刷にゴーを出す直前は50メートルの踏切版をけってプールに飛び込むような「えい、や」の気持ちです。それまで十二分のチェックは複数の目でしているはず。けれど、やっぱりドキドキが高鳴るのは、その責任という重圧に耐えられない小心者だから。そして、仕上がるとホッとするのもつかの間、読者からのクレームや質問に怯える・・・・めったにないことですが…小心者なので・・・
そのドキドキ、ホッ の繰り返しが激しいと、とても終わった仕事に向き合うエネルギーはなく・・・・・・・このページの更新に手が出せませんでした。
そんな日々で、私の人生もかなり後半戦。いま改めてコロナ禍で静かに考えて思うのは、私の仕事は日本の食文化の更新の手伝いだったのではないか、ということです。
パンやチーズ、フレンチ、イタリアンなどは全くの外来の食文化。バブルの勢いで一気に日本に広がり、21世紀になって私自身、これは日本に本当に必要なのか、なくてもいい贅沢品なのか・・・と自問自答が始まりました。つくり手、食べ手、といろいろ考えてみても「知ってしまったものは、忘れられない」。つまり「日本人にも、もう、なしにはできない食文化」だという結論に到達。ならば、どうあればよいのか。その答えがやっとコロナ禍で確信に変わりました。
30年以上親交のあるオトワレストランの音羽和紀シェフが、かつて私に「地元の食材をフランス料理の技術で表現したい」とおっしゃいました。いまこそ、すべてのジャンルでそれを実現するべき時代になったのだと思います。
考え方や技術はたぶんに諸外国に学び続けます。しかし、モノの移動はもう国内で、あるいは生産地周辺で回るように考えなければ、環境が、地球が持ちません。それをコロナが教えてくれているのだと思います。
すでに日本にはそれを可能にするだけの技術と情報が積み上げられています。それが私がつくってきた本だったなあ・・・と、振り返っています。それほどの著者に恵まれ、また彼ら彼女らが素人の私とフランクにディスカッションするマインドを持っててくださったので、ここまでのことができました。
著者以外にもたくさんの理解者に恵まれて、えいやっと印刷して多くの方のお手元に届いていることに感謝いたします。
ネットでなく、紙に落としました。国会図書館にもすべて入っています。無くならないことは、うれしいことです。
松成 容子
ずっと、ずっと地下にもぐったようにしていました。長い時間をかけてやっとできました。
タイトルは「イタリアチーズの故郷を訪ねて ~歴史あるチーズを守るDOP~」(本間るみ子著 旭屋出版)。 これは、遠く、イタリアのチーズの紹介でありながらも、実は時代と共に移ろう「私たちと食べ物の付き合い方」の本です。
DOPとは、「農産物を国が認めてお墨付きを与え、市場にその価値を保証する」制度。 驚いたのは、2000年前後からここに登録される数が、チーズだけでも加速度的に増えている事実です。
2001年に出した「イタリアの地方に根づく味 DOPのチーズたち」(A4判)は30アイテムで作りました。
しかし、現代。今回は2014年の途中で一度、無理やり区切って本にしましたが、2001年に30にすぎなかったものが、2014年には48アイテムにもなって、いったいどれだけお墨付きを与えてブランドにする気なんだ・・・と言ってる矢先に49番目も登録されたとニュースが届きました。
この駆け込みラッシュの背景には、「伝統の食べ物が失われないために」と各地方の人々が必死で立ち上がり、自分たちの伝統であり誇りである食べ物を守りたいと、動いている事実があります。 逆に言えば、そこまで必死にならないと、もうなくなってしまいそうなチーズ(他の食べ物も)がいっぱいある、ということです。
時代の流れに呑み込まれたくないという人間の良心と、
時代にのって、新しいものをほしがる人間の欲求のせめぎあい。
人間の矛盾は、どこの国も同じなんだと考えさせられる本だと思います。
本書は、イタリアをはじめチーズ伝統国に30年通い続けるフェルミエの本間さん自身が、自分の脚と耳と目で確かめてきた現地の事実や事情、その中でたくましく真摯に生きる人々との交流を通じて、チーズを紹介しています。
編集者として関わった私にとっては、チーズという食べ物以上に、人々の自分のふるさとの味に対する愛着や人生が見えて、つくづく面白い仕事でした。 いつもながら、世界のどこにいっても、美味しい食べ物を一生懸命作っている人の話を、一生懸命聞いてくる本間さんならではの交流の物語も、織り交ぜられています。
チーズ用語は、分野外の人にはちょっと面倒かもしれませんが、40以上の食べ物と人、日本人とイタリア人の交流物語は、読み進むうちに、きっと食べ物の視野を広げてくれると思います。
こんな本は、めったに作られるものではありません。ぜひ、1冊、お近くに置いてください。 松成 容子
やっと出来ました、渾身の1冊。 日本のフランスパンの第一人者、ドンク仁瓶利夫さんが一緒に考えていこうと伴走してくれる「よいパン作りへの道」という著作です。
中身は、フランスパンというものを焼く人には、ぜひ読んでいただきたい上級編の内容です。
ときは20年以上前にさかのぼります。
「仁瓶さんのフランスパン作りはすっげー」といううわさをいくつも聞いたのです。ならばと、インタビューに行ったりエッセイの執筆をお願いしたりしているうちに、私の頭に浮かんだのが「仁瓶利夫の厳しいフランスパンづくり」というタイトルの本でした。
さすがにこのタイトルでの実現はかないませんでしたが、ドンクの神戸本社まで旭屋出版の永瀬副社長と一緒にお願いにあがり、ド緊張のなかでできたのが2001年発行の「フランスパン、世界のパン 本格製パン技術」。これはその後も版を重ね続け、現在もフランスパンの教科書として日本中のベーカーたちが使ってくれています。「ぼろぼろになってもう3冊目を買いました」という人にも会いました。
今回の本は、技術は60年前に日本に本格的なフランスパンを伝えたレイモン・カルヴェル教授の基本にのっとり、しかし、時代とともに材料が変わったり誤解が生じてきたところもあるということで、今一度、日本全国のフランスパンの作り手に語りかけるつもりで仁瓶さんはペンを執りました。
著者の仁瓶さんの思いは技術だけにとどまりません。長年フランスと日本と両方の文化に触れながら、「その国の文化は敬意を持って尊重するべき」との信念から、フランスの歴史的な著作を徹底的にあたり、専門家を何度も直接たずねたり、メールしたりして質問攻めにし、自分の言葉にきちんと置き換えられることを選んで、文化的背景、歴史も、書き表しました。
仁瓶さんが言いたいことは本当は、もっともっととんがっていて、たくさんありました。しかし、時間や紙幅、法律などに阻まれ断念いただいたことは、今も私の中で発酵し続けています。
制作には、話があってから2年半のときがかかっています。撮影と原稿はリンクするようなしないような進行の状況で、目次、つまり本としての全体像はどうにも決まらないまま2年のときがたち、苦しんだ結果、これだ! と目次つまり全体構成が出来たのは今年の3月のことでした。それから、原稿と写真を組み合わせてモザイクのように、けれど、あとからみると、それはさも、最初からストーリーがあったかのように、歴史、製法、原材料、トラブルシューティングとうまくまとまっています(なんちゃって・・・)。
それは、あたかも家を建てることは決まっているけれど、部屋数も決めていないなかで、今日はブロック10個と素材違いの柱2本、次の時はどこの天井か壁かわからない紙が20メートル、次にまた、短めの柱1本と・・・受け取っていくようなもの。その混乱は、しばらくの間、私の脳みそと心を沸騰させました。
また、クリームホワイトのパン生地がいくつも仕込まれる製作過程は、素人の私たち編集サイドの人間にはなかなか見分けが難しいものがあります。そんななか、タイミングを逃さずぴたりと最高の瞬間を画面に収めてくださったのは、スタジオ・ワイのベテランカメラマン山本明義さんと軽快にアシストを務める鈴木友樹さんです。撮った写真は1万枚を数えるのではないかと思います。(選ぶ作業はたいへんでした)
一方、デザイン作業も、通常なら基本フォーマットを決めたら後はさらさらと流し込んで・・・となるものが、そうは行かない今回の仕事。デザイン会社コーズの高才弘さんは、何回も何回も、こつこつと赤字を打ち込んでは校正。この作業が技術のページについては初校、再校、三校、念校、最終校、その1、その2・・・あたりから、もう笑いながら付き合ってくださいました。
私のつたない進行で発行もじりじりとずれてしまいましたが、このエネルギーあふれる夏に、これだけの本を世に放つことが出来たのは、最高の幸せであり、今では目の前の目標を失って、ちょっと寂しくもあり、です。
仁瓶さんは、これからこのテキストを片手に各地でセミナーを開催されることでしょう。そして、そこでは書ききれなかったことが生トークでたっぷり聞けるはずです。
ちなみに、私はこの本の制作途中で、著者の仁瓶さんから一対一で直接バゲットとパン・リュスティックをご指南いただくチャンスに恵まれました。今日まで内緒にしていた秘蔵写真もここで公開。仁瓶さんには、本当にたくさんの宝物をいただきました。仁瓶さん、そしてチャンスを作ってくださったドンクの佐藤さん、一緒に労苦を共にした製作スタッフの面々、自由に任せてくださった旭屋出版の永瀬副社長、ありがとうございました!
気合いを入れて作った本です、ぜひ、みなさん、気合いを入れて読んでくださいませ。
松成 容子
昨年の夏、北海道での講演に際し、「今まで作った本も」と声かけていただき、宅急便で送って会場に着いてみたら、下のような展示がされていました。
確かに、どれも私が今まで作らせてもらったものですが、この演出には、さすがに夢を見ているようでした。
主催者、エグヴィヴ丹野隆善さんのセンスには、このあとも度肝を抜かれっぱなしでした。ありがとうございました。
さて、こうしてみると、形に残る仕事というのは本当にありがたいものです。
自分が今までやったことを端的に人に伝えられるし、自分の人生が終わっても、どこかで誰かの役に立てるかもしれません。もちろんその主役はそれぞれの本の著者ですが、お手伝いした自分も陰にいる。いつも、世に出してしまったものに言い訳をつけて歩けない怖さばかりを感じていましたが、今頃になって、この演出のおかげで、少し、いいことも思うようになりました。
一方で、こうやって形に残らない仕事もあります。
食べ物を作る人、人や物の間で調整をする人はどうでしょう。
本や建物は確かに形が残ります。でも、形に残ると同時に、それはやっぱり心に響かないと「残る」ことはできのないとも思います。
どんな仕事の人も、目に見えたり触ったりできる「残る」ではなく、誰かの心に響くか響かないかが問われるのではないか。最近、そんなことから残された時間をどう使おうか、考えます。
この円卓のシーンを見るたびに、贅沢な人生をいただいたような気分になりながら、残された空間におく一冊一冊を丁寧に仕上げたいと思っています。
6月に2冊。目下、その予定でちょっと緊張する日々を送っています。 松成 容子
野菜料理が、もう長い間、人気です。ヘルシーなうえに季節感があって・・・・でも、お野菜だけで、肉や魚がないと、どこか物足りない・・・・。そんなイメージはないですか?
ここで紹介する3冊は、そんな思い込みを見事に覆してくれる、力強いレシピ集です。食べ終わった後に「え? 今のにお肉、なかったっけ?」と聞き返すほど満足感が得られる「うまみ」たっぷり料理ばかりです。
1500円 +税 1500円+税 1500円+税
著者は、野菜料理を創作させたら天下一品の宮本しばにさん。 たまご社松成、自信の編集作品です。
撮影終了後にいただく料理は、たとえできたてのアツアツの瞬間を逃したとしても、「うわっ」と声が出そうな美味しさばかり。そばにいた出版社 副社長が「こうやって、実際に食べてうまい料理の本は、じわじわと、確実に長く売れ続けるんですよ」と、私の耳元に囁きました。
事実、最初の「焼き菓子レシピノート」も、2作目の「野菜料理の365日」も、そして最新作「野菜のごちそう」も、手にとって作ってみた方には大好評です。「しばにワールドに、はまってるんです」と。
本の中には、しばにさんご自身の、料理に対する「シンプルに、でも、ていねいに」のこころがきっちり書きこまれています。
野菜は、物足りない、難しい、と考えているあなた。また、好き嫌いやアレルギーなどでお困りの方。ぜひ一度、しばに料理を作ってみませんか。
松成 容子
ドイツでは、クリスマスの1か月前からシュトレン(またはシュトーレン、シトーレン)というお菓子を家族や仲間と一緒に食べ、クリスマスの到来を待つといいます。
そのシュトレンが日本でもじわじわ人気上昇中。ドイツと日本のシュトレン物語と日本全国のプロのレシピを一冊にまとめました。
旭屋出版 \2800+税
白いクリームに赤いいちごのショートケーキから、日本のクリスマスがそろそろ次の段階へ進もうとしています。そんな次世代を担うのが「シュトレン」です。
何より驚いたのが、この時期、1店舗で数百から数千個という単位で売れているパン屋さんや菓子屋さんも少なくないこと。「シュトレン」というお菓子は、九州から四国、北海道まで知られ、年々売れゆきを伸ばしているらしいことです。
買い手も、もともと知っていたというより、「初めて食べてみたらおいしかったから」という中高年男女が意外に多いという事実。これは取材に歩きながら聞いた話でした。
「シュトレン」は、日本の鏡餅のように、ドイツ人にとってはなくてはならない食べ物ですが、時代とともにカロリーを気にし、家族数も減り、忙しくてみんなでゆっくり食べる機会が減ったのは日本と同じ事情のようでした。それでも、日本で「シュトレン」といって騒ぐなら、1つの民族が大事にしてきた食べ物ということを知り、敬意をもって楽しんでほしいと思い、この企画をたてました。3月から動き始めて11月にやっと完成です。
家庭用レシピもドイツの基準も掲載しています。ぜひ、読んでみてください。なお、まとめてご購入の方は、たまご社までご相談ください。 松成 容子
ホームページをリニューアルしたのを機に、今までの方針を170度(?)ほど変えて、ブログを始めることにしました。
初回は、よく聞かれる「なんで、たまご社って名前なの?」についてお話します。
卵は、まあるくて、だけど、まんまるじゃない程度の個性はあって、和洋中どの料理文化にもあるので食べ物関係の仕事をするには親しまれやすい、というのがまず一つ。
もうひとつは、1989年に「トマト銀行」と改称して注目を浴びた銀行に刺激を受けて、「食べ物の名前を会社名にして、いいんだ」と楽しい勇気をもらい、であれば「たまご」を超える別の食べ物は浮かびませんでした。
最後に、もうひとつ、「たまご」を思いついた理由があります。これは、実家が採卵養鶏場経営を50年以上していて、私は「たまご」で育ててもらったということです。
スタートして20年以上たっても、やっぱり自分で口にするのはちょっと気恥ずかしい名称ですが、多くの方に覚えていただいているのを実感するほどに社会的責任を感じています。
「いつまでもたまごじゃないんだから、そろそろひよこ、とかにしたら?」ともいわれます。でも、たまごは、未来が詰まったカプセルです。いつまでも先を夢見て、多くの方の本づくりの夢のお手伝いができるように、存在する限り「たまご」でいきます。
どうぞよろしくお願いいたします。 松成 容子
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